バランサー組織に正式加入したのは本当にここ数年の話。 組織が発足して、色々態勢が整ったあたりで話は持ち上がっていたんだけど、反対派が大多数で話が進まなかったらしい。 らしい、って言うだけで内部事情はよく知らない。あまり興味もない。 人間が反対するのはそりゃあ当然だと思うし、すんなり受け入れられてたらそれはそれで正気を疑う。 人間を守る仕事に就いたからって、じゃあ人間が好きなのかと聞かれたら別にそういうことでもない。 気がついたら憎悪が消えていて、気がついたら一緒に居ることが不快ではなくて、気がついたら自然と手を伸ばすことができるようになっていただけだ。 でも、すぐ治るとは言え、身体を張って部下を守ったりしてるってことは、どうでもいいって訳ではないんだろうと思う。多分好きではないのだろうけど。 僕をこの場所に呼んでくれたのは、隠居生活をしていたところに突然現れた大剣使い。名は水無月無限。ご存じだね。 狼の姿で森を移動するところを近隣の住民に何度か見られてしまっていて、その狼を討伐して欲しいと依頼を受けて森に入ったそうだよ。 そうだね、話の流れもいい感じだし、僕と彼のなれそめでも話そうか。興味がないなら……まぁ寝るなり仕事するなり…各自好きなように? 聞きたい人はこっちにおいで。滅多に聞けない話をしてあげる。 ……ふぅん? 物好きだね。 イレギュラー・バランサー  〜Imitation Blue〜 「アンタ傭兵なんだろ!?あの魔物をなんとかしてくれよ!」 「あんなのに毎晩うろつかれたら迂闊に外も歩けないのよ!」 時は午前11時。 それなりに昇った太陽でやや暖かい、とある秋の日。 背に大剣を装備した男性は渋い顔で視線を巡らせた。 「……まず状況を詳しく」 (内容がないよう) オオカミなんとかしてくれって言われたよ。 おっかけたら戦場跡で人間の形に化けた上に死体かじったよ。 またオオカミに戻って走ってったのをおっかけたよ。 なんか小屋に入った!!  ←いまここ 青年はまずロウソクに火を付けた。 そのまま小屋の中を歩き、ランプや暖炉に次々と点火していく。オレンジの光がしっかり室内を照らしたので、無限は暖炉脇の影に分身を滑り込ませた。 暖炉の火が大きくなったところで、2、3本の木ぎれをまた放り込み、小さなケトルに水を入れて火にかける。続いて厚手のカーテンを閉じ、天井近くから張られたロープに毛織りのブランケットを引っかける。 「ふぅ」と吐き出された吐息は屋外と大差ないほど白い。雪国にありがちな、ありふれた日常風景だ。あまりに普通で、果たしてこいつは討伐すべきなのかと無限は顔をしかめた。 そうこうしている間に青年は、暖炉の側に吊られたザルを覗き込んで手を突っ込み、ざくざくと数回かきまわして中身をひとつまみ取り出した。 香りを確かめてから小さく笑うと、ザルの中身を瓶に移し替え始める。 中身の確認のために影を動かした方が良いだろうか? 無限は状況分析を始めるが、青年の方がいち早く作業を終わらせてしまったため、影の移動は断念した。 瓶を持った青年が近づいてきたので、無限の背にはぴりりと緊張感が走る。 が、瓶を棚に置いた青年はそのまま暖炉脇に留まり、潜んだ影の隣でオレンジの切り分けを始めたので緊張感は仕事もせずに帰って行った。 (ただデザート用意してるだけじゃねぇか) 生活風景を覗いているわけではない。これは魔物の動向の監視だ。現にこいつは獣の姿で森を徘徊していたし、戦場跡で死体を喰っていた。 魔物でなかったとしても、少なくともまともな人間ではない。 無限は自分にそう言い聞かせながら、代わりにやってきた軽い頭痛と森の冷えた空気を振り払うように、影に意識を集中し直す。 一方の青年は作業の手を止めていた。うぅん、と唸って包丁をランプの光にかざす。しばらくそうしてから、彼は包丁を置いた。 左手が別のナイフを手に取ったのを確認した刹那、無限の眉間を激痛が襲う。 「あっだ!?」 思わず悲鳴を上げて眉間を押さえ、うずくまる。 小屋の床がきしむ音がして、気配が近づいてくる。一旦退避するために立ち上がろうとするが、何故か無限の身体は動かない。 (プロ失格だぞこりゃ) 初歩的なミスなんてかわいいものではない。悲鳴で気づかれるなど、凡ミスという単語にすら鼻で笑われるレベルの失態だ。 これは覚悟を決めなければ、と身体をこわばらせる無限の前で小屋のドアがキキィと鳴いて開いた。 「……さっきからひとりで何してるの?」 戸口から頭だけ出してそう言った青年の声が静かな森に響く。攻撃的な色のない、ただひたすらに呆れと疑問だけを含んだ声色。 逆光でその表情は窺えないが、おそらく青いと思われる髪がさらりと流れた。 「今日は冷えるから、そんなところで転がってないで入りなよ」 そう言い残すとドアを開けたまま、すたすたと青年は引っ込んでしまった。霧が出始めた屋外には再び無限一人になる。 「お、おう……?」 この仕事に就いてから長くなるが、仕事中にここまで呆けてしまったのは初めてかも知れない。 罠か? なんなんだ? 「ねぇ、寒いんだけど。入らないなら閉めるよ」 先ほどよりもはっきりと大きくて、あまりに人間くさい、普通に、ありふれた。 いつの間にか動くようになった身体は、オレンジの光に誘われるように小屋の中へ滑り込んだ。 「いらっしゃい」 声のする方へ目を向けると、暖炉脇に屈みこんだ青年が床に刺さったナイフを引っこ抜いているところだった。 「ごめんね、縛っちゃった。返すよ」 それが自分の影のことだと気づくのには少々の時間を要した。切り離された影がナイフから逃げるように床を滑り、無限の影は濃さを取り戻す。 変な特技、と青年はけらけら笑う。左頬に刻まれた紅い印が、少しだけ歪んだ。 「あんた、いつから」 「ん? 此処に引っ越してきたのは三年前くらいじゃないかなぁ」 「そうじゃねぇよ」 会話が噛み合わない。ずきりと頭が痛んだのは先ほど影を縛られたせいか、否か。 「いつから気づいてたか、って聞いてんだ」 「戦場までの道中をお兄さんに追いかけられてたのは知ってるよ」 指先に乗せたナイフをくらくらもてあそび、青年は至極当然のように言い放つ。無限はぽかんと口を開けた。 「あ、気配の消し方はすっごく上手だったと思うよ。とりあえず座ろう、落ち着かない」 おそらくフォローしたつもりなのだろう。ナイフを手近な引き出しに放り込み、青年は無限の側の椅子を引いて背もたれをぽんぽん叩いた。 視線に負け、恐る恐る腰掛けた無限を見て青年は満足げに頷く。先ほど瓶を置いた棚まで戻ると、ずらりと並んだ瓶のうちの一つを手に取った。 「君は? コーヒー? 紅茶? ミルクはあいにく切らしてて……。あ、でもこの間リョクチャっていうの買ってみたから、それならあるよ」 ほとんどの会話が成立しなかったことに脱力して、無限は机に突っ伏した。 この魔物らしき人間のような生き物は、自分を付け回していた人間を自宅に躊躇なく迎え入れた挙げ句に茶を振る舞おうとしているのだ。もうだめだ。疲れた。 「どうしたの? 紅茶でいい?」 「なんであんた、俺に茶なんか淹れようとしてんだ」 「玄関から入ってくれるならみんなお客さんだよ」 「なんかヤバいもんでも盛るのか?」 「やだな。僕は他のものは安くていいけど、お茶だけは贅沢するって決めてるんだ。混ぜものなんてお茶に対する冒涜だよ」 だめだこいつ、真剣だ。やっと成立した会話もこれだ。無限はもう一度突っ伏した。 そんな彼を見て首をかしげた青年は暫く黙って考え込むと、「あぁ」と何か思いついたように暖炉の前まで歩いていった。 「はい、どうぞ」 「おおぅっ!?」 突然肩に触れた何かに驚いて、無限は二度目の悲鳴を上げた。彼を包んでいたのは厚手のブランケットで、そういえばこんなものが暖炉前にあったな、と思う。 「いや……つーか、なんだよいきなり…」 「人間にはちょっと寒いのかなって思って。あたためといて正解だった」 人間には。ということは、やはり魔物か。 警戒心が少しだけ頭を上げたが、やはり人間くさすぎる挙動がためらいと疑問を生む。 「やっぱり人間じゃねぇんだな」 「生物学的にはそうじゃないかな。それに、戦場跡で死体の血なんか啜ってる人間がいるなら公的組織に捕まった方がいいと思うよ」 「間違っちゃいねーな……。あんた、名前は」 「質問攻めは失礼」 「……」 そう言って、青年は無限の前にティーカップを置く。たち上る湯気と香りは非常に魅力的だったが、なにやら釈然としない返答に彼はカップを見つめて黙り込む。 向かいに座った青年は紅茶を一口飲んでから何かに気づいた顔をして「何も盛ってないってば」と斜め上の言葉を発した。 無限は諦め、ティーカップに口を付ける。茶葉とリンゴ、ショウガの香りが絶妙な加減で広がった。 「煌夜」 「水無月無限」 ほぼ同時に二人が呟く。 「寒いときはやっぱりアップルジンジャーだと思わない?」 「結局名乗るんじゃねぇか!」 「そっちが聞いたんじゃないか……。僕は別に聞いてないのに……」 釈然としない、という顔でぶつぶつ文句を言う青年を見て、無限はまた釈然としない気持ちになった。 「名前も聞かねぇ上に、俺の用件も聞かねぇんだな。少しは疑問を抱け」 「こんな辺鄙な夜の森に何しに来たの? ……あっ、待って待って、まだ言わないで。当てるから」 「言わせろ。頼む、俺が悪かった。埒があかねぇ」 「だめ、まだだめ。僕を始末しに来たところまでしかわかってない」 「それで全部だよ!!」 「えぇー」 なるほど、精神が摩耗すると疲労感だけではなく頭痛や寒気も感じるようになるのか。若干増した頭痛は冷えた空気のせいだろう。無限はブランケットを巻き直した。 「街の奴らに依頼されたんだよ…。青くてでかい犬が深夜の森をうろついてるからなんとかしてくれってな」 「わんちゃんじゃない。狼だよ」 「……ここは冷えるな」 怪訝そうに目を細め、少し遠くを見るような視線で煌夜は小さく反論した。無限は無視してわざとらしく身を震わせた。 少し温度の下がったティーカップを口に運び、リンゴの香りを追いながら一気に流し込む。 一方、突然喋らなくなった煌夜はカップを手にしたままじぃと無限を見つめていた。 「……殺すの?」 「微妙だな。俺が見たのは死体をかじってたところだけだ。しかも追跡してたら茶がでてきたもんだから困ってる」 実害が出たという話も聞いていないし、そもそも正体すらよくわかっていない。彼が受けた依頼は、要約してしまえば『森をうろつく獣が怖いからなんとかしてくれ』である。 つまり殺す必要があるかと問われれば『否』というわけで。しかも茶やらブランケットやらを出されてしまってはそんな気になれと言われる方が困るのが人情というやつであって。 「じゃあもっとお茶を出せば見逃してくれるかな」 「かもな」 「……。おかわり淹れる。同じのでいい?」 「あぁ。そうだ、ショウガもう少し増やせねぇか? 外に長居しすぎたらしくてな、さみぃ」 冷えた指先を空のカップで温めようとする無限をもう一度見つめた後、煌夜は小声で「わかった」と返事をして席を立った。 程なくして出てきた紅茶は暖かい湯気と、先ほどより強いショウガの香りを連れて現れた。冷えと少々の頭痛で丸くなっていた無限には大変魅力的なビジュアルである。 「殺さない?」 「いや飲ませろよせめて」 「あっ、ごめん」 紅茶をすする無限を見ながら突っ立っていた煌夜だったが、茶葉を並べた棚に再び向き合ったかと思えばその手で迷い無く小瓶のひとつを選び取った。 それから何かを覚悟したかのように口を引き結んで無限の向かいに座り直すと、自らにも淹れなおした紅茶の中に中身をぶちまけ、ろくにかき混ぜもしないまま一気に煽る。 「は? え、何してんだ」 何の気なしにその行動を見守っていた無限だったが、流石に色々と唐突すぎてポカンと口を開けた。なんだ、何か気に障ったか。つーか今の液体なんだ。 「まだ寒い?」 「え、あぁ、…あれ……」 口元をぺろりと舐め、脈絡があるのかないのかはっきりしない問いをぶつける煌夜。 「なんだこりゃ…。どうなってんだ、全然寒くねぇし頭痛も治まっちまったぞ。なんだこの紅茶、魔法でも使ってんのか」 震えるほど冷たかった体も、増してきた頭痛も一気に引いていた。薬効があるのかと無限が問うと、返ってきた言葉はふたつ。 「……ごめん。盛った」 今までの会話からは想像もつかないほどに直球すぎる言葉と内容に、無限は思わず紅茶を噴き出してむせるが、咎められるいわれはないだろうと確信した。 咳き込む無限の背をさすりながら心配の言葉をかけるも、返答も反応もない。 「それは解毒、だから……君はちゃんと飲んだ方、がいい…と思う。……けほっ」 「おいおい、お前まで咳してどうす……!?」 視界に入った煌夜の顔に、無限は驚愕を隠せない。彼が咳き込む度に、口から血が流れ出しているのだ。顔色も真っ青で、小刻みに震えている。 「わー…頭痛いなこれは……」 「お前……もしかしてそれ…俺に盛ったとかいう」 「うん。けふっ、でも人間用のだから、僕にはそんなに効かな、げほっ、大丈夫」 しばらく押し問答があったが、結局煌夜は解毒剤を口にすることはなかった。 「殺す気で来た人なら殺しちゃってもいいかなーって思ってたんだけど」 すっかり減った咳だったが、治まったというわけでもない。 仕事柄見慣れた光景に近いとは言え、血でべたべたに濡れたタオルを口元に押し当てる青年を真正面に見据えるのは少々気が滅入る。 無限は顔をしかめた。 「様子見って感じだったし……玄関から入ってくれたし……」 「やたら玄関にこだわるな。なんかあるのかよ」 「よく壁を破られるから…けふっ」 どういう生活してんだ、と呟いた無限を見て煌夜はへらへら笑った。血まみれのタオルと口元が異様に不釣り合いである。 そのタオルも無造作にポイと暖炉に投げ棄てられ、独特の焦げた匂いが紅茶の余韻をかき消した。 明らかに多すぎる量を摂取したと思われたが咳はすっかり治まり、その回復力は彼が人間でないことをはっきりと示した。 「ちょっと昔いろいろあってね、人間が憎くてしょうがなかったんだけど」 煌夜はしばしの間を置いて再び口を開いた。言葉を挟む雰囲気ではないことを読み取り、無限は三杯目にしてようやく出てきた『まともな紅茶』をすする。 「これまたちょっといろいろあって……もう関わらなければどうでもいいかなーって。でもさっき君が見たように『食べ』ないと生きていけないし、でも諸事情があって死ねないし」 もうめんどくさくて、と煌夜は肩をすくめた。無限は先ほどの光景を思い出す。そして考え、半信半疑ながらも答えにたどり着いた。 「……吸血鬼か」 「半分くらいね」 きちんと顔を向き合わせれば、なるほど、半分くらい吸血鬼の瞳孔は縦に深く切れていて、目の前の存在はとりあえず人間ではないという事が認識できた。 「なんだっけ、ダンピール? よく知らないけどレアキャラなんでしょ? 歯もあるよ、ホラ」 「いや、もういいもういい。うがいをするとか口元を拭くとかなんとかしてくれ」 そういうと新しいタオルを奪い取り、煌夜の口元を雑にごしごしとこする。 「ちょ、いたた、ちょっと、痛いよやめて」 なんていう言葉とは裏腹に、彼の左頬に刻まれた紅い印が、楽しげに大きく歪んだ。